s 深淵より愛を込めて





ほら、今日も始まった。



縛鎖の夢





「……っ、ぅ……」

興が醒め、読んでいた古書を閉じ机に置く。
なるべく音を立てないようにしたのは、私なりの誠意だと思って欲しい。
眠りに就いたはずの赤毛の少年へ視線を向ければ、酸素を奪われたかの如く喉元を押さえ、
苦しそうに薄く呻いていた。
まるで見えざる手が、彼の首を今にも絞め殺さんとしているようにも見える。

そんな彼を横目に眺めながら、そういえば今日は神託の盾との戦闘があったか、と連鎖的に思い出す。
他人を殺したという事実は、私にとってその程度の認識でしかない。
だが、この優しい少年は違うのだろう。……単に私が人の情を持っていないだけかもしれないが。

おそらく、どちらも真実だ。

”ヒト”を殺めた日、ルークは決まって同じ夢を見る。
ヒトとはもちろん盗賊や神託の盾兵などに加えて、最近では神託の盾が寄越したレプリカ兵士をも含んでいる。
夢の中を覗ける訳ではないのでその内容は詳しく知らないが、想像には難くない。

────アクゼリュス。

”人を殺すことは、その人の未来の可能性を奪うこと”
かつてティアが彼にそう突きつけたことが、今では遠い昔のように思える。
人を殺すことを恐れ躊躇してきた彼が、それ以来剣に迷いがなくなった。
躊躇はしなくなった。だが、恐れはなくならなかった。
そういうことなのだろうか。

しかも、アクゼリュスではただ殺したのではない。
何千もの人々を一瞬で”消滅させた”と言っても過言ではないのだ。
痛みを感じる暇もなかったのは幸か不幸か。
ルークには聴こえるのだろうか。アクゼリュスで消えた魂とやらの怨嗟の叫びが。
私は魂などという非科学的なものは信じていないが、あるいは罪を犯した者だけに聴こえるものなのだろうか。

(いや、それはない、か)

その仮定が正しいのなら、私にも聴こえて然るべきだからだ。
もちろん私には何も聴こえない。
よって仮定は偽。即座に証明完了出来る。

では何故、彼は悪夢を見続けるのか。
罪悪感を感じているから?
いや、むしろ────

「うぁ、ぁああッ!」
「……ルーク?」
「ッひ……ぅ、……るし……」

突如上がった絶叫で思考の海から脱し、何事かと顔を向ける。
呼吸は乱れきつく目を閉じ、何かを拒むように激しく首を振っている────尋常ではない。
このような状況には何度も遭遇していたが、これほどまでに苦しみだしたのは私の見た中では初めてだった。
微かに零れた声に耳を澄ますと、呻き声だけでなく何か言葉を口にしているようだ。

「ご……なさ、い……ゆるし……くだ、さ……ッ」

”ごめんなさい”
”赦して下さい”

どうやら内容は大方予想通りだったようで、思わず深い溜め息を吐きたくなった己を制する。
……当たって欲しくない予感ほど当たるものとは、全くよく言ったものだ。

「ルーク、起きなさい」

上半身を起こさせ、肩を揺さぶる。
……反応がない。

「ルーク。ルーク!」
「……ん……ジェイド……?」

仕方なしに頬を何度か叩くと、ようやく小さな反応が返ってきた。

「目が覚めましたか」
「……えっ、と。……もう朝、とか?」
「解っているとは思いますが、違います」

カーテンの閉まっている光のない窓を指差し、にっこりと笑む。
ルークはだよなー、と空元気で軽口を叩いた後、申し訳なさそうに顔を俯かせた。

「じゃあ……その、起こしちまったんだな。……ごめん」
「私は単に読書をしていただけです。貴方には関係ありませんよ」
「はは……なんか今日のジェイド、嘘が下手だな。それって ”関係ある” って言ってるようなもんだぜ?」
「…………」

図星を突かれて押し黙る。
それが事実の肯定を意味すると知っていながら。

「……前に、言ってただろ。俺が悪夢見てる時、うなされてるって。
 ジェイドはそれを見かねて、 ”起こしてくれた” んじゃないか?」
「さて、どうでしょう。失言に関しては、最近寝不足でしてね。疲れが溜まっているのかもしれません」
「寝不足……。俺の、声のせい?」

俯かせた顔を僅かに上げ、こちらの顔色を窺うように呟くルーク。
全く、先程から失言をしてばかりだ。我ながららしくないと思う。
寝不足なのは事実だが、この程度の徹夜で疲れを感じるとは……年は取りたくないものだ。

「だから違うと言ったでしょう。読書、というか情報収集及び研究をしているからです」
「……ホントに?」
「本当ですよ」

疑い深いルークに、証拠として読んでいた古書を見せながら言葉を重ねる。

「……さ、私もそろそろ寝ますから、貴方ももう一度寝なさい」
「うん、そうする。……ありがとな、ジェイド。おやすみっ!」

ルークは一息で言い切り、私の返答を待たずにそのままシーツを頭から被って横になった。

「おやすみなさい、ルーク」

その様子に安堵し、読書用に点けていた僅かな音素灯を消す。
薄暗かった部屋はついに明かりを失い、黒塗りの暗闇が空間を支配していく。
今度こそ彼がその暗黒に飲み込まれなければ良いのだが。

(……やれやれ。柄にもない)

そもそも他人を────それも第一印象の時点で”地位以外気に掛ける価値なし”と判断したような子供のことを、
よりにもよって心配、しているだなんて。
我ながら可笑しいと思ってはいるのだが。

自分もまたベッドに横になりながら、あの時遮られた思考を再開する。
ルークは、悪夢を見ることを戒めとして強迫観念的に自分に課しているような────そんな気がしてならない。
罪を感じるなとは言わない。自分の責任を投げ出して逃げ出すよりは余程マシだ。
だが、彼の罪は人の身にはあまりに深淵過ぎて、贖罪の術を持たない。
だから彼の悪夢は、少しでも何か償いをしたいという強い念によって、無意識に自分自身が見せているのだろう。

「……すぅ……」

しばらくして、隣のベッドから規則正しい寝息が聴こえてきた。
どうやら、今度は正常な眠りについたようだ。
起きている時にさえ自分を卑下して落ち込んでいるようなルーク。
せめて夢の中でくらい彼に安息の場を与えたいと願うのは、自然な気持ちだった。

「ふふ、……私も少しは変わったということですかね」

彼が寝ている方向を意識しつつ、小さく一人ごちる。
話しかけたつもりはないが、口に出すことで、改めて自覚が生まれる。
これも一種の”成長”というべきなのだろうか。
いずれにしても奇妙な感覚で、少しだけくすぐったい感じがする。
以前の私なら一笑に付すのだろうが、

(……まあ、悪くないということにしておきましょう)

明日の夜もまた研究に取り組まねばならない。
自分の出した結論を否定するためというのは皮肉なものだが、それでいい。
あの子供が消えずに済むのなら、矛盾だろうと構わない。
それが彼の人生を狂わせた”元凶”の努めだろう。

目を閉じれば、重力に後押しされた瞼が重苦しく下がってくる。やはり年齢的な疲労を認識せざるを得ない。
私にも、安息はともかく休息は必要なようだ。
さて、そろそろ本当に眠らなくては。

「……良い夢を」

誰かに希うように最後にぽつり呟いて、ジェイド・カーティスの一夜は幕を閉じた。





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