宿での夕食の時間も終わり、窓の向こうは切り取った闇に覆われている。
今日は運良く全員分の一人部屋が取れたため、私は備え付けの椅子に腰掛けて本に目を通していた。
落ち着きのない子供もいないことだし、たまには静かに読書を楽しむことが出来るというものだ。
もっとも、その静寂は僅かしか続かなかったが。
「ジェイド!」
噂をすれば、早速件の子供が現れたようだった。
ドアをノックすることも忘れて、ルークは勢い良く部屋に駆け込んできた。
「何ですか、騒々しい」
非難の視線を向けると、ルークは少し怯んだ様子を見せたがすぐに立ち直った。
「あ、ごめん……。でも、ジェイドに来て欲しい場所があるんだ!」
「来て欲しい場所……?こんな時間にですか」
「だって、夜の方が情緒あるだろ?」
返ってきた言葉は意味不明だった。
「…………はぁ、そうですか」
鈍く痛み出したこめかみを押さえながら、一応先導するルークに付いて行く。
「で、どこへ行こうというんです?」
「内緒。」
「……ルークは余程お仕置きが好きと見えますねぇ」
「うわっ!じょ、冗談だって!」
これには流石のルークも顔が引きつらせながら釈明した。
「着いたら判るよ……っていうかもう着いちまったけど」
「と、言われましても……。こんな所で何を?」
ルークが立ち止まった場所は食堂。
中からほのかな灯りと甘い香りが漏れている。
確かに、もう営業時間はとっくに過ぎているような時間なので、灯りが点いているのはおかしいと言えるが。
「あれ?……もしかして、今日が何の日か覚えてないのか?」
さも不思議そうにルークが言うので、覚えのないこちらの方が変なのかという気さえしてきた。
────これは少し推測してみる必要がありそうだ。
まず、今日の日付けは……シルフリデーカン・22の日。
ルークは私に対して ”覚えてないのか?” と言った。
ということは、少なくとも私は知っていて当然である、と認識されているはず。
記憶力には自信のある方だと自負しているが、特に何かの記念日だったという覚えはない。
それと、クリームと果物の甘い香り……これは、ケーキだろうか?
しかし、こんな夜にケーキなどを作る理由が解らない。
「ジェイド?いつまでそこで突っ立ってるんだよ。ほら入った入った!」
「はいはい、分かりましたよ……おや」
ルークに言われ、渋々と扉を開けた途端。
「おめでとう!!」
という声と同時に、パーンという何かが弾けたような音が盛大に空間を支配した。
直後、色取り取りの小さい紙が無数にひらひらと舞い降りてくる。
テーブルを見ればティア、ガイ、アニス、ナタリアと仲間が全員席に着いてクラッカーを握っていた。
「これは皆さんお揃いで……一体何の真似です?」
本当に純粋な疑問だったのだが、仲間達はいつもの皮肉と取ったらしい。
「何の真似、とはまたあんたらしい言い方だが……」
「さすがのアニスちゃんも、ちょっと傷付いちゃうかも~」
「わたくし達がこうして祝って差し上げているのに、その態度は何ですの!」
口々にそう言われても、全く見当が付かない。
「祝う?……ですから、何を?」
”祝う”というキーワードから、やはり今日は何かの記念日らしいということと、どうやら自分は祝われる立場にいるらしい
ということは解ったが。
「……ちょっとルーク、どういうこと?」
流石に私の態度を不審に思ったのか、ティアが訊ねる。
「あ~……、いや、ジェイドさ、実は今日が何の日か覚えてないらしくって……」
視線を中に彷徨わせながら、実に言い難そうにルークが放ったその一言は、仲間達を一瞬で震撼させた。
「おいおい、マジかよ……」
「ちょっと拍子抜けって感じ……」
「本当なんですの、大佐?」
「この様子じゃ、確かにそのようね」
溜め息を吐いたり目を丸くしたり、反応は様々だったが呆れられているのは確かなようだった。
「……とりあえず、状況を説明して頂けませんか?」
自分一人だけ蚊帳の外というのも何だか癪ではあるし、勝手に若者達に呆れられているのも気に入らない。
責任取りなさいとでもいうような目でティアに見られて、代表としてルークが簡潔に言った。
「今日はさ、ジェイドの誕生日なんだよ」
テーブルの上のケーキを見る。
チョコレートで描かれたその装飾は確かに、 ”Happy Birthday !!” 。
……誕生日?
……………………私の?
「……はははははっ!」
感情を制御する余裕もなく、気付いたときには人目も気にせず大声で笑っていた。
駄目だ、これは堪えることが出来ない種類の笑いだ。
こんなに本気で可笑しい気分なのは、確かアブソーブゲート以来だったか。
「なるほど、誕生日ねぇ……くくっ」
疎まれることが常のこの死霊使いの誕生日を祝おうなどと考える酔狂な輩が、あの人の他にいようとは。
そんなもの、自分自身でさえとっくに忘れ果てていたのに。
「おい、ジェイドが普通に笑ってるぞ……!」
「だ、旦那、頭は大丈夫か?」
ルークとガイは何とか勇気を振り絞って声を掛けて来ているようだが、女性陣に至っては、もはや唖然として
開いた口が塞がらない様子だ。
余程”ジェイド・カーティスが爆笑する”という現実が信じられないらしい。
「失礼ですねぇ。私だってたまには本気で笑いますよ」
こんな私でもまともに笑うことが出来るのだと、気づいたのは自分でもつい最近だったが。
それには、少なからず目の前の彼らの存在が影響しているのだろう。
「さて。せっかくケーキも作って頂いたことですし、出来たてのうちに戴こうじゃありませんか」
「あっ、ちょっと待った! ローソク消すのが先だろ! ミュウ、火ぃ点けてくれ」
「はいですの!」
ミュウがソーサラーリングの力で蝋燭に火を点け始める。
しかし、ケーキの上に立っている蝋燭の数は全部で7本。
「おや、蝋燭の数が極端に少ないように見えますが」
これではまるでアニスの半分……いや、ルークの実年齢と言った方が正しいか。
「これはですね~、1本につき5本分と考えてるんですよぉ」
「流石に30本以上を一度に刺すのは見栄えが悪いだろ?」
「なるほど」
蝋燭の本数に納得したところで、ミュウが顔を上げて主人に報告した。
「ご主人様、終わったですの!」
「よし。じゃあジェイド、一息で消してくれよな」
「……30代後半の男性軍人にそれをしろと?」
幾ら何でもそれは恥ずかしいというものだ。
実年齢7歳のルークやまだ13歳のアニスは仕方ないにしろ、お年頃なはずのティアやナタリアまで
何の疑問もなさそうなのは何故なのだろうか。
これだから純粋培養育ちは困る……。
おまけに頼みの綱のガイは ”子供の夢を壊すな” とでもいうように苦笑いで訴えてくる。
状況は孤立無援に四面楚歌。最悪だ。
かくなる上は、やはりこれしかないか。
「おや、あれは!?」
「え、なになに?」
真面目な表情に切り替えて窓を指差し、皆が釣られて視線を逸らした瞬間、
「唸れ烈風────タービュランス」
極小規模で風の譜術を発生させ、蝋燭の炎を吹き飛ばす。
最後まで詠唱しなければ本来の威力は出せないが、今回のように高速発動させるだけならば、
最小限詠唱するだけで十分。
戦場では敵の目を誤魔化すくらいにしか使えない技術だが、こんな所で役に立つとは。
「まぁっ! いつの間にか火が消えてますわ!」
「ぶーぶー。ちゃんとみんなが見てる前で消さなきゃ駄目ですよぅ大佐~」
反応を見ると、無事気付かれずに済んだらしい。
少し古典的とは思ったが、天然お姫様やお子様相手には通用したようだ。
「これは失礼。────さ、そろそろケーキを戴きましょう」
今度は異論はないのか、待ってましたとばかりにルークがフォークを手に取る。
「俺、一番大きいイチゴが載ってるやつなっ!」
「待ちなさい。あなたの誕生日じゃないのよ、ルーク?」
「そうだぞ。まずは旦那に選ばせてやんな」
早速保護者二人が子供を諌めにかかる。ご苦労なことだ。
「構いませんよ。お子様に譲ってあげるのも大人の仕事ですから」
「だから、子供扱いすんなって言ってるだろ~っ!」
「ほら、そうやってムキになるから子供なんですよ」
突っかかって来るからこそ、こちらとしてもからかいがいもあるというものだ。
「まぁまぁ旦那、そうルークを苛めてやるなよ」
「おやガイ、年寄りの唯一の楽しみは若者をいびり倒すことなんですよ?」
どこが年寄りだっつーの! という相変わらずの突っ込みも聞こえたが、当然無視。
「ごほごほ。年のせいで心肺機能も弱ってきましたかねー」
「大佐ぁー。わざとらしい演技は止めて下さーい」
「そうですわ!せっかくのケーキが不味くなりましてよ」
そういえば、ふと気が付く。
このケーキは一体誰が作ったのだろうか?
「は~い、主にアニスちゃんとティアとガイで作ったんで、味は保証しま~す☆」
訊ねると、アニスが得意そうに胸を張った。
料理上手なアニスと、タマラさんから直々にケーキ作りを教わったというティア、まぁまぁ料理の作れるガイ。
王族コンビが入っていないのは実に懸命な人選だ。
「なるほど、それは安心です」
「……ちょっとお待ちなさい。それはわたくしとルークが作ったのでは安心出来ないと?」
「まあ、平たく言えばそういうことになりますね」
正直に答えると、ナタリアが拳をぷるぷると握り締めて立ち上がった。
「えぇい見てらっしゃい! 今に陰険大佐の鼻を明かすようなケーキを作ってみせますわっ! ねぇルーク!!」
「おう! こうなったら、ジェイドが『参りました』って言うくらい美味しいやつ作ってやろーぜ!」
そんな日は永遠に来ないのでは、と思ったのは私だけではあるまい。
「ま、まぁ……とにかくだ。ジェイド、誕生日おめでとう」
無理矢理まとめようとしているのが見え見えの使用人の言葉だったが、子供達は上手く乗せられてくれたらしい。
さっきの騒ぎはどこへやら、次々に祝辞の言葉を述べ出した。
「そういえば、何気にうやむやになってたよな。おめでとうジェイド!」
「おめでとうございます、大佐」
「おめでとうございま~す♡」
「おめでとうございますわ」
「ジェイドさん、おめでとうですの!」
疎まれるのが常の死霊使いには、目の前の光景はえらく新鮮ではあったが────悪い気分では、ないか。
「……そうですね、一応礼は言っておきましょうか。ありがとうございます」
「こういう時ジェイドって素直じゃないよなー」
「ふむ、一言多い子供には一度再教育が必要ですかねぇ」
「え!?ちょっ、本気にするなよ大人気ない!」
「いえいえー、遠慮なさらずに。きつーいお仕置きしてさしあげますから♪」
「がっガイ!!助けてくれ!!」
さて、本当にお仕置きしたのかは別の話。
以下、プチ後日談。
「しかし旦那、あの時は大変だったな」
「何がですか?」
「とぼけるなよ。蝋燭の火を吹き消した時、あんたこっそり譜術使ってたろ」
「流石にあなたまでは欺けませんでしたか」
「21歳にもなってあんな子供騙しに引っかかるか。とはいえ、俺以外はちゃんと引っかかってたから安心しろよ」
「ふむ。では今度はあなたも騙されてくれるような手法を考えておきますよ」
「転んでもただじゃ起きない死霊使い、か……」
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