それでも、私はこの子供に、



暁の車




「死んで下さい、と言います。私が権力者なら」

赤い子供はそんなこと嫌だと喚きもせず、冷徹に言い放った目の前の自分を責めもせず、ただ頷いた。

全く以って今更だが、自分は残酷な人間なのだと思い知る。
友人としては止めたい────そんなものは気休めだ。
現に私は今、この子供に世界のために死ねと突きつけた。それが事実だ。

重要なのはそんな甘ったれた感情論などではなく、鋼鉄の理性で以って練り上げた状況に相応しい判断力。
迷う要素など一つとして存在しない。
子供の頃から、いつだってこの世は取捨選択で構築されていた。

犠牲のないハッピーエンドなど現実の世界では通用しない戯言に過ぎず、ならば最小の犠牲で最大の利益を
目指すことは自然かつ当然で、もっとも道理に適っている。
今回はその ”最小” が、一万のレプリカ達と、いつの間にか友人として認めてやっても良いと思い始めていた
赤い子供だったというだけの話。

本来この世界に誕生するはずがなかった生命で、世界の危機を清算する。
不必要な足し算は引いたとしてもゼロに戻るだけ。それは明快で単純な図式。
しかも能力に勝る被験者は生き残り、食い扶持を荒らし人々を混乱させるレプリカは大幅に数が減少してくれる。
まさしく良いことずくめだ。

だからジェイド・カーティスという人間はそれを賛美するべきで、止めたいと思うことなどあってはならない。
否。理性はすでに子供の犠牲を認め、選択しているのだ。
それなのに、子供の貼り付けている表情を見て、心(そんなものがあればの話だが)が凍ったような感覚を覚えた。

(……止めて下さい。そんな顔で、)

背を向けているため見え難いが、子供は自己犠牲と果てない責任感で塗り固めた仮面を付けて確かに笑っていた。
いや、笑おうと試みていた。
血色の良かった顔色は今や故郷の雪のように真っ白で、誰がどう見たとしても無理しているようにしか見えない、
口の端を僅かに歪めただけの筋肉の強張った笑顔。

そんな顔で微笑まれる権利なんて、私は持ち合わせていない。

「……すみません」

だからその笑顔を直視していることができず、反射的に子供から目を逸らした。
私のことなど、憎めばいい。恨めばいい。
友人の生命より世界の存続を取り、尚且つその過酷な生を生み出した元凶なのだから。

己の無力さに昏い嗤いすら零れそうだった。
この先の運命が変わらないのならば、もうそれくらいしかしてやれることがないのだ。

────だが困ったことに、そんな思いすらも、赤い子供は軽々と打ち砕いてしまう。

「────ジェイド」

不意に、意を決したように子供が顔を上げた。
さて、次に来るのはどんな言葉か。

「ありがとう」

……………………今。この子供は何と言った?

あまりに局面に相応しくない台詞が子供の口から飛び出したので、しばし発すべき言葉を失う。
唖然としているこの顔を見られずに済んだのは、幸いと言えるだろうか。

「ジェイドはいつも、皆が言いたくないことでもちゃんと言ってくれるだろ。
 本当は、そんなこと言わせてごめん……って謝りたいんだけどさ。
 きっとジェイドには、一番辛いことをさせたと思う、から。
 でも謝ってばっかじゃ、またガイ達に卑屈って言われちまうだろうし」

だからお礼だと。子供はさらに付け加えた。

「俺はもう誰のせいにもしないって決めた。だからジェイドも、謝らなくて良いんだよ」

────この、子供は。

自分に死ねと言った相手に対し礼を述べ、あまつさえ労るなど、愚行にも程がある。
私を罵れば少しは楽になるだろうに。
握り締め過ぎて青くなった拳が震えているくせに。
瞳に張った水の膜が零れないように必死に堪えているくせに。

────どうしてこの子供は、こんなにも。

答えなど最初から解り切っているからこそ、

「……全く、馬鹿もここまで来ると爽快と言うか。大馬鹿ですね」

呆れ果てて物も言えない、とでもいうように大袈裟に肩を竦めてやると、何だよその言い草は!と
顔色を少し戻した子供が怒鳴っていた。

それでいい。私への配慮などさっさと忘れてしまうべきだ。
そんなものを甘受する資格などないのだから。

「ティアの所にでも行ってはどうです? 私はお先に礼拝堂へ戻りますから」
「……うん。そうする」

何の気も悟られないように言えば、子供はやはりこくんと頷いて階段へと駆けて行った。
遠退いていく、年頃にしては小柄な後ろ姿と赤い焔を眺め目を細めながら、眼鏡の位置を直す。

子供の弱さを知っている。だけど子供の強さも知ってしまった今この瞬間、
迷う要素など一つとして存在しないと、果たしてなお断言出来るのか、私に。





死なないでくれと、死を告げた私がそう願うことは罪だろうか。





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