「ほら、イオン様ぁ~! 早く行かないと会議に間に合わなくなっちゃいますよぅ!」
「すみません、アニス。解ってはいるんですが、もう足が動かなくて……」
「……しょーがありませんねぇ、じゃあ少しだけ休憩ですよ?」
「え、でも、よろしいのですか? 会議が……」
「イオン様はただでさえお体の具合が良くないんですから、無理しちゃ駄目なんです!
 わたし何か甘いものでも買って来ますから、そこで待ってて下さいね」
「ありがとうございます、アニス」

そんな様子を遠くで見つめる少女が一人。

「イオンさま……甘いものが食べたいのかな……」
(アリエッタが甘いものを作ったら、イオンさま喜んでくれる、ですか?)

とても良いことを思いついたとでも言わんばかりの表情で、アリエッタは魔物と共に駆けて行った。



アリエッタの 『ひとりでできるもん!』





「……で、何でボクに聞く訳?」
「だって、他に聞けるような人……いない、です」

たまたま食堂にやってきていたシンクは、酷くイライラしていた。
アリエッタがこっちに向かって全力疾走してきたかと思えば、「お菓子の作り方を教えて」などと口にしたからだ。
確かに他の六神将────こういうのに一番適してそうなリグレットはヴァンと視察に出かけているし、
ラルゴとアッシュは合同任務とかでここにはいない。ディストはいても論外。
(……だからって、何でよりにもよってボクなんだよ!)

「食堂なんだから、給仕のおばさんとかいるだろ?」
「アリエッタ、アリエッタの兄弟が怖がられてるから、近寄っても怯えられる」

まあ、当然だろう。普通魔物なんて恐怖の対象でしかない。
もっとも、人々が恐怖しているのが魔物なのかそれを使役する者なのかは判らないが。

「だからシンク……お願い、です!」
「…………」

珍しく語気の強い調子で頼まれ、シンクは目の前の少女の処遇をどうするか思考した。
断るのは簡単である。
だが、自分と同じく孤独な少女に少しだけ憐憫の情が湧かない訳ではなかった。
ついでに言うと、涙目で上目遣いという何かをくすぐる状況に、自分の中のその ”何か” が敗北宣言をした。
(……ボクは何を言ってるんだか!)

「やっぱり……駄目、ですか?」
「……分かったよ。でも、ボクは作り方を教えるだけだからね。作るのは自分でしなよ」
「……っ! ありがとう、シンク!」

ぱあぁっと華が咲いたように輝いたその顔を見て、不思議とシンクに悪い気はしなかった。



「で、何作りたいの?」
「ケーキ、です。いちごの乗ったやつ」

食堂の利用時間が終わる頃合を見て、給仕のおばさんに厨房を借りることに成功した。
食材まで貸してくれるとはなかなか親切な……じゃない、馬鹿な奴。

「そ。じゃあ、まずは材料を用意するところから」

生クリームに砂糖、いちご、グラニュー糖、水、卵、薄力粉、溶かした無塩バター……まぁこんなものか。

「水は何に使うですか?」
「熱してグラニュー糖と混ぜて、後でスポンジに塗るんだよ。その方が美味しいらしい。
 あと、バターは湯煎で溶かして。型に塗るのも忘れないでよ。薄力粉はよく振るわないと」
「シンク、詳しい……」
「そっ、そういう風に聞いただけだっ!」

何故自分が照れなくてはならないのか。何となく理不尽さを感じたシンクだった。

「卵とグラニュー糖を泡立てて。面倒だから譜業全自動ミキサーでいいよね」
「はい、です」
「グラニュー糖は3回に混ぜて入れてよ。あー、それは砂糖だってば!」
「砂糖とグラニュー糖、どこが違うですか?」
「どこがってそもそも見た目が違う! グラニュー糖の方が結晶っぽくてサラサラしてるだろ?」
「……ほんと、です」
「解った?じゃあ次、薄力粉。ヘラで ”の” の字を書くように混ぜて」
「…… ”の” ってどんな字、ですか?」

言われてみれば確かに、フォニック文字にそんな文字はなかった気がする。
さて、どう説明するか。

「んー……、ほら、ディストがよく書いてるでしょ」
「あぁ、いじけてる時に指で書いてるアレ……ですか。わかったです」
「次に溶かしたバターを入れて混ぜる。サックリ切るように」
「……混ぜたです」
「じゃあ型に入れて、170度のオーブンで30分くらい焼いて」

アリエッタがオーブンに型を入れたのを見つつ、さらに次の指示を出す。

「ほら、ボサっとしてないで次」
「ご、ごめんなさい……」
「いちいち謝らないでくれる?はい、生クリームにグラニュー糖を入れて泡立てて。角が立つまで」
「……シンク、優しい……」
「何?何か言った?」
「何でもない、です」

そう言った彼女の表情はやけに嬉しそうに綻んでいたが、シンクにはよく解らなかった。

「別に良いけどさ。今のうちにシロップも作っておくか。水を熱して、グラニュー糖溶かして」
「溶かしたです」
「なら冷まして。あと、いちごも食べやすい大きさに切る」
「……それは駄目、です」
「何で?」
「アリエッタ、そのままの大きさが良いです」
「……まぁ、好きにしなよ。でも中に入れる分だけは切った方が良いと思うけど」
「あ、なるほど、です。そっちは切るです」

その時、オーブンの焼けたかん高い音がした。

「焼けたみたいだね。じゃあ型から出して逆さまにして。粗熱を取るのも忘れないでよ」
「ふーふー」
「……まさかとは思うけど、息で冷まそうとか考えてる?」
「だ、だって、熱い物を冷ますには ”ふーふー” しなさいって、総長が……」

いい年して、そんなこと教えてたのかあのオヤジ……。
ヒゲ面の威厳あるおっさんが ”ふーふー” とか言っている光景は、なかなかシュールな光景なのではないだろうか。

「……とにかく、それは止めて」
「はい、です……」

残念そうに顔を歪ませたアリエッタに、何だかこっちが悪者みたいな気分になる。
もともとはヴァンのせいだというのに、何故自分が罪悪感なんて感じなければいけないのだろうか。
全く、この世は理不尽なことだらけだ。

「……次いくよ。スポンジを2つに切って、切り口にさっきのシロップ塗って」
「は、はい、です」
「塗ったら下段に生クリームを4分の1くらい塗って、切った方のいちごを敷き詰めて」
「いちご、のせたです」
「じゃ、上段を下段に重ねて、生クリームを周りに塗って。全部は使わないでよ、飾りに使うから」
「できたです」
「最後に、残った生クリームを口金の付いた袋に入れて搾る」
「こ、こうですか?」

ここまでは結構順調だったのに、この作業だけは上手くいかないようだ。
前言撤回するのは趣味じゃないが、見ていられないんだから仕方ない。

「下手くそ。……貸して。ボクがやる」
「で、でもシンク、教えるだけって……」
「最後だからね、貸しにしといてあげる」
「……ありがとう! です」
「…… ”です” は余計だよ」
「?」
「何でもない。……ほら、さっさといちごを飾って」
「はいです。────できた、です!」

所々形が潰れたりしている部分はあるが、まぁ初心者が作ったのだからこれ位は許容範囲だろう。
とにもかくにも、こうしてケーキは完成した。

「シンクのおかげで、ケーキできたです! 本当に……ありがとう、です」
「礼なら別に要らないよ。ところでそれ、自分で食べるの?」

何の気なしに訊いた質問だったが、返ってきた答えは一瞬にしてシンクを不快にさせた。

「これはね……イオンさまにあげる、です!」
「…………そう、」

体中に渦巻く怒りと失望の中、かろうじて言えたのはその2文字だけだった。
しばらく彼女の口からは「イオンさまが疲れてた」だの「甘いもの欲しがってた」だのどうでもいい言葉が
次々にこぼれたが、シンクの耳にはほとんど届いていなかった。
あいつのために彼女が作ったケーキ。一生懸命拙いながらも作ったケーキ。
(よりにもよってボクがそれを手伝ってた、だって! こいつはとんだお笑い種だ!)

「じゃあさっさと導師の所にでも行けば?」
「……? シンク、どうかした……」
「煩いな! ボクのことなんてどうでも良いだろ!?」

無性にイライラする。7番目のあいつにも、彼女にも、何より愚かな自分自身に。
くだらない。何もかもくだらない。
誰かこの無価値な生を今この瞬間に終わらせてくれ!

しばらくじっとこちらを見ていた彼女も、一言「……ごめんなさい」とぽつり呟いて、ケーキを持って走り去っていった。

「…………」

怒りが収まってくると、去った彼女のその後が何となく気になった。
偽善者のあいつなら、心配しなくともきっと完璧な笑顔で受け取るのだろうが。
(──── ”心配” ? このボクがそんなことする訳ないだろ、馬鹿馬鹿しい!)

食堂を出て数分、何やら向こうの廊下が騒がしい。

「……いいかげんにし……暗ッタ!」
「……ニスが悪いんだから! イオンさまを……」

今の導師守護役と、聞き覚えのある声(というか、さっきまで聞いていた)まで聞こえてきて、シンクは盛大なため息を吐いた。
彼女の兄弟(無論人間ではない)がいるおかげで、野次馬もさほど2人を取り囲んではいなかった。

「まあまあ、アニス。落ち着いて下さい。アリエッタも」

そこへ仲介に入ったのは選ばれた我らが7番目、 ”導師イオン” サマ。

「大体根暗ッタが悪いんでしょ? 会議中にいきなり入ってきて! おかげで会議中止になっちゃったんだから!」
「だってイオンさま、甘いもの食べたいってさっき言ってた。だからアリアッタ、一生懸命ケーキ作ったのに……!」
「さっきっていつの話だっつーの! ていうか、わたしがとっくにあげたもんね~だ!」
「うぅっ……、アニスのバカバカぁ~っ!!」

彼女は大粒の涙をこぼしながらヒステリックに泣き叫び、結局渡すことの出来なかったケーキを潰さないように
抱えながら、廊下を駆け抜けていった。
魔物達がそれを追い、野次馬達も慌てて道を空ける。

「アニス、今のは言い過ぎです」
「だって根暗ッタのせいで、大事な会議が中止になっちゃったんですよ!?」
「そうですね。ですが、アリエッタも僕のことを思ってくれた故の行動だったのですから、僕はその気持ちを
 尊重したいんです」
「ホント、イオン様ってば甘過ぎ~。でも、そこがイオン様らしいんですけどね」

そんなやり取りを反吐が出る思いで傍観し、シンクは微かに舌打ちをした後、

「……フン」

足が勝手に誰かさんの後を追いかけていた。



彼女は教会裏の庭で一人うずくまって肩を震わせていた。
人の目に付きにくい場所だから、もしかしたら彼女はここでいつも兄弟達と語りあったりしていたのかもしれない。
自分には関係のないことだが。

「アリエッタ」
「……シンク? どうして……」
「愚問だね。ほら、ケーキの箱貸して」
「……? いい、けど……どうするの?」
「ボクが食べてやるって言ってんの」

あいつの代わりというのが心底気に入らないが。

箱を受け取ると、護身用のナイフで中身をカットする。
基本的な戦術は体術と譜術だが、リグレットに無理矢理持たされたものだった。
こんな所で役立つとは思っても見なかったが。

アリエッタが箱に用意していたらしいフォークを刺し、一口大を口で咀嚼する。

「形は悪いしスポンジも潰れてる。減点」
「…………」
「でも、初心者が作ったにしてはまあまあ食べられる味だね。不味くはないよ」
「……!」

その時の彼女の、ちょっと驚いたようなぽかんとした顔がとても可笑しかった。
こちらは顔に出すつもりはない、もっとも出した所で仮面が遮ってくれるに違いないが。
空いている手でポケットをがさごそと探ってハンカチ(……もっと丁寧に折りたたんでおくべきだったか)を取り出す。

「はい、これで顔拭きなよ」
「シンク……」
「勘違いしないでよね、泣き顔見てるとこっちまで憂鬱になって鬱陶しいだけだから」
「……はい、ですっ!」
「アリエッタも食べなよ。ボク一人にこんな甘いもの食べさせて糖尿病にさせる気?」
「い、いただきます……です」
「 ”です” は余計」
「……いただき、ます!」
「よろしい」

それから特に話す話題もなく、アリエッタが最後の一口を口にするまで無言で食べ続けたが、不思議と居心地は
悪くなかった。

「シンク、今日はありがとう、です」
「何のこと?」
「ケーキ、イオンさまには食べてもらえなかったけど、シンクに喜んでもらえて嬉しい」
「……喜んだ覚えは全くないけど?」
「それでもアリエッタには分かる。だから、ありがとう」
「……勝手に言ってなよ」

じゃ、ボクは帰るからと逃げるようにその場を立ち去ったのは、何故だか頬が熱くなったからだと言うのは、
一生秘密だ。





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