ある日ある時、神託の盾食堂




「ふう、こんなに長引くとはね……。あとでヴァンに文句言ってやらないと」

食堂のおばさんからラーメンの器を受け取り、適当に目に付いた空席に座る。
といっても、この時間なら空席なんて吐いて捨てるほどあるのだが。
任務が長引いて昼食が遅くなったため、大きな食堂は見るからに閑散としていた。
元々人込みは好きではないし、丁度良かった。

「あ、あの……」

降ってきた声に目を向けると、アリエッタがオムライスのプレートを持ってこちらをじっと見つめていた。

「なに? 用があるんだったらさっさと言ってよね」
「シンク、あの、隣……良い?」

相変わらずアリエッタは、人の顔色を窺うようにオドオドとしている。
ボクはそれが何となく気に入らなくて、つい口調も刺々しくなってしまうのだった。
(あいつになら、もっと普通に話しかけるのかな)
……なんて馬鹿馬鹿しいことも、一瞬考えてしまうほどに。

「……好きにすれば」
「じゃあ……座ります」

麺をすする合間に一言だけ告げると、彼女はそれだけで嬉しそうに顔がほころんでいた。
全く、何がそんなに嬉しいんだか。

彼女は心なしか浮き浮きとしながら、そのまま席に着いた。
(とは言っても、元々が大人しい方だから、やっと人並みってとこなんだけど)

「シンク、何……食べてるの?」

アリエッタはオムライスを銀のスプーンで掬いながら、ゆっくりと喋る。
その小さい口ではむはむ咀嚼してる姿を見ると、何だか小動物みたいで……
べ、別に何とも思ってなんかない。

「見て解んないの? ラーメンだよ」

ボクは内心の苛立ちをぶつけるように、そっけなく返した。

「……その仮面で?」
「五月蝿いなぁ……食べてちゃ悪いわけ?」
「そうじゃなくて……どうやって食べてる、の?」

彼女に悪気は無いようで、純粋に疑問、といった感じで訊いてくる。
(そんな顔されちゃ、こっちもそう冷たく出来ないじゃないか……)

「……言ってる意味がよく解らないんだけど」
「だから、麺。すすると仮面の裏側にスープが飛んだり……」
「しないって。静かに食べればいいだけのことだろ」
「じゃあ、スープは、どうやって飲む……ですか?」

そろそろこの問答も面倒臭くなってきたので、返答も徐々につっけんどんになる。
これが彼女以外なら、早急に叩きのめすか皮肉の置き土産付きで席を外しているところだが、我慢だボク。

「……飲めなきゃ残せば良いじゃないか」
「だめ!」

アリエッタが急に声を荒げたので、その珍しい様子に思わず目が丸くなる。

「シンク、それは駄目。アリエッタ、ライガママの所にいた時は、食べ物大切にしてた。
 食べ物粗末にしたら、怒られる」
「怒られるって……誰に?」
「大自然。」

別にアリエッタもこっちを怒らせようとして言ってる訳じゃないんだよねえそうだろ落ち着けボク。

「……あのさぁ……。アンタそれ、本気で言ってる?」
「だ、だって、ライガママが言ってたんだもん! アリエッタ……嘘付いてなんかないもん!」

あくまで大真面目に叫ぶアリエッタに、思わず肩がずり落ちそうになった。
(そうだよね、ほとんど魔物に育てられたんだったっけね……おっと)

こちらが脱力している間にも、すでに彼女の大きな目からは涙が決壊しようとしていたので、仕方なくフォローに入る。

「はいはい、解ったからその泣きそうな顔止めてよね……泣かれると面倒だから」
「だったら、スープ!」
「…………」

とは言ったものの、実際スープ飲もうとすると、仮面が中に入ってしまって汚くなってしまう。
さて、この後どうしようか。

「あ!」
「……今度は何?」
「アリエッタ、良いこと思いついた……です! シンク、仮面外せば良い!」
「その案だけはお断りだね」

即答すると、アリエッタはさも名案を思いついた、という顔のままできょとんと固まった。

「……どうして?」
「ボクが仮面外したくないから」

この仮面を外せば、彼女はどんな反応をするだろうか?
疑われるならともかく、ましてあいつと間違えられるなんて、死んでもゴメンだ!

「……顔、見られたくないですか?」
「そうだよ。悪い?」

感情に任せて、口調にも勝手に皮肉が混じってくる。
(アンタは何も知らないから、)

「…………」
「……アリエッタ?」
「なら……仕方ない、です。無理しなくても」

と言う割に彼女の顔は残念そうで、何だかこっちが悪いような気さえして。

「……そろそろ認めるべきかな」
(結局のところ、アンタには敵わないってこと。)

「……シンク?」
「はいはい。飲めば良いんだろ、スープ」

今日はボクの負けってことにしといてあげるよ。

「……いいの?」
「気が変わって欲しくないんだったら、そういうこと言わないでくれる?」
「ご、ごめんなさい……」

ほら、またその顔だ。

「いちいち謝るの止めてって言ってるだろ。……あと、しばらく後ろ向いててくれる? ボクが良いって言うまで」
「は、はいです」

こちらが言わんとしたことを理解したのだろう、彼女は素直にくるっと背を向けた。
周囲に人の気配が無いことを確認し(任務が長引いたのは不幸中の幸いだ)、アリエッタに念を押す。

「いい? 少しでもこっち向いたら殺すからね」
「わ……わかったです」

すばやく仮面を外し、丼を傾けて一気に飲み干す。
今までの問答のせいで随分時間が経ってしまって、スープは冷め切っていた。
不味いという感想は、もちろん仮面を付け直した後に言ったが。

「もう良いよ、アリエッタ」
「スープ、飲めたですか?」
「全部飲んでやったよ。じゃないと誰かさんが大自然がどうの五月蝿いからね。
 これだからスープってのは嫌なんだよ。ただでさえ飲みにくいってのに、冷めたら不味いなんて最悪」

次から次へと口から滑り出す言葉に、自分自身少し驚いていた。
(……ボクってこんなに饒舌だったっけ?)

「シンク」

アリエッタはやけに嬉しそうに、にこにことこちらの顔を覗き込んでいた。

「今日はたくさんお話してくれて、嬉しかった、です。ありがとう」
「……礼を言われるようなことはしてないと思うけど?」
「ううん。そんなことない、です」
「…………」

不味いスープを飲んだのもこの笑顔を得るために必要な犠牲だった、と言われれば、

「まぁ……納得出来なくは無いかな」

────以上、自己完結終了。

アリエッタはそんなボクの言葉に疑問符が山ほど浮かんでいるようだったが、あえて無視する。

「……ところで、そっちはこの後の予定はどうなの?」
「今日は、もう任務ないです。お休み」
「そう。僕は30分後にまた任務あるから、じゃあね」

器を返却口に置き、そのままつかつかと食堂を去った。

「全く。……調子が狂う」

これくらいのことで、世の中そう悪くない────なんて思うなんて。
きっと、馬鹿げてる。




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