「瘴気がばーんと出てきてマジヤバですよぅ! イオン様!来て下さい!」
そう言うなり、有無を言わさずイオン様を部屋から連れ出した。
瘴気がヤバイのは本当のことだけど、これからわたしが行うこととは別問題だ。
わたしはこれから、イオン様をモースに会わせなきゃいけない。
モースがイオン様をどうするかなんて、想像が付き過ぎて吐き気がする。
……でも、それがわたしの任務。
あの男が望むままに、今までみんなを散々裏切ってきた。
でも、その報いが何でイオン様に向かわなきゃいけないの?
イオン様は何も悪くない。悪いのはわたしとあいつだけ、なのに。
考え込むうちに、疾走が歩みに変わり、やがて足が止まってしまった。
「アニス、どうしました?」
心配そうな声音でイオン様が尋ねる。
あなたはいつだってそう。
他人の心配ばっかりして、今から自分がどんな目に遭うかなんてこれっぽっちも考えてない!
「……げ、て」
「え?」
パパ、ママ……ごめんなさい。
でも、わたし、どうしてもこのひとに死んで欲しくない……!
「逃げて下さい、今すぐこのダアトから! じゃないと、モースがイオン様を……っ」
「……アニス。僕は、これから自分がどうなるか、少しは解っているつもりですよ」
わたしの言葉を遮って、イオン様は我が侭な子を諭すように言った。
だけどわたしには、一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
そんな、馬鹿なことが。
「だ……だったら、どうして黙ってわたしに付いて来るんですか!?」
あなたは、きっと────死んでしまうのに。
「解っているからこそ、僕は行くんです。いや────行かなければならない理由があります」
「どういう……意味、ですか?」
「今に解ると思いますよ。さ、早く行かないとモースが怒ってしまいます」
”モースの機嫌を損ねる” 、そう耳にしただけで悪寒が背中を蹂躙する。
けれどこのひとは、おそらく自分が死ぬだろうことが解っているのに、いつも通りだ。
あまつさえ、すっかり動かなくなったわたしの手を引っ張り、先導していく。
「い……イオン様っ! 離して下さい!」
「駄目です。僕一人で行ったって、パメラやオリバーを解放してくれるとは限りません。
アニスがちゃんと約束を守ったということを解らせなければ」
「どうして、それを……!」
ママ達のことは、一言も告げた覚えはないのに。
このひとは、どうしていつもこんな所ばかり聡いのだろうか。
「言ったでしょう、少しは解っていると。
モースが僕に何かさせようとするのなら、それはおそらく、惑星預言を詠ませること。
通常の預言が頼りにならぬ今、モースにとって最も確実に近い預言を手に入れておきたいのだと思います。
アニスがモースに従う理由も、何か弱みを握られているとしか思えませんでした。
そしてアニスの弱みといえば……モースが借金を肩代わりしたという、パメラ達でしょう」
邪推でしたか、と少し顔を曇らせたイオン様に、慌てて首を横に振る。
「でも、もしそれが当たってたとしても、わたしのやることは変わらないんですよ……」
むしろ何故怒らないのか。
わたしはパパとママと引き換えに、あなたを見捨てるも同然なのに。
「それでも、きっと何も知らないよりはずっと良いと、僕は思います」
日溜まりのような笑顔は、こんな時でもあたたかく降り注ぐ。
わたしをいつも安心させてくれたその微笑みが、今はわたしの胸を強く強く締め付けた。
あなたが、 ”導師イオン” じゃなければ。
もっと違う出会い方をしていれば。
あなたとわたしは、もう少し一緒にいられましたか?
「フン、やっと来おったか」
打ち合わせした場所────教会の奥にある、今は使われていない資料室に到着したわたし達を見るなり、
モースは侮蔑の意を隠そうともしなかった。
もう、我慢の限界だ。
「……ちょっとあんた、そんな言い方……っ!」
「お前に私を責めることなど出来まい。何せ、お前は私の────」
「モースッ!」
呪縛のような断罪を遮ったのは、普段は決して見せない、怒気も顕わなイオン様の一喝だった。
その迫力に押されたのか、モースは以後の言葉を飲み込んだ。
「それ以上、彼女を侮辱することは許しません。……僕が大人しく付いて来れば良い話でしょう」
「イオン様……」
「レプリカの分際で生意気言いおって……! まあいい、そんなに言うならばさっさと付いて来るがいい」
傲慢に言い放ち、モースはザレッホ火山に繋がる譜陣の部屋へと足を踏み入れる。
わたしの順番は一番最後だ。イオン様が譜陣に入るのを確認しなければならない。
(……まるでイオン様さえも人質に取られたみたいだ)
そして、イオン様の片足が部屋と部屋の境界線を越えた、その時。
「待て!」
(────来てくれた……!)
見慣れた赤毛の少年を率頭に、仲間(……そう呼べる資格はないけど)が続々とこの場所に集結していく。
「どうしてここにモースがいるんだ! それにアニス、これは一体どういうことなんだ?」
「……それは……」
ルークにそう問いただされても、口篭って項垂れるしかなかった。
「ぬぅ……リグレットめ。こんなガキ共すら足止め出来んとは!
アニス! ここは任せたぞ! 裏切ればオリバー達のことは分かっているな?」
どうやらルーク達は、モースの仕掛けた六神将の足止めを突破してきたらしい。
忌々しそうに吐き捨てながら、モースは逃げるように譜陣で移動した。もちろんイオン様を強引に連れて。
パパ達のことを持ち出されれば、わたしに逆らえるはずがないから。
(……卑怯者……っ!)
黙っているために噛んでいた唇は、錆びた鉄の味がした。
「おい、アニス! オリバーさんたちがどうしたって言うんだ?」
一人残ったわたしに、ガイが訊ねる。
(そんなの……言えたらとっくに言ってる!)
「うるさいな! わたしは、元々モース様にイオン様のことを連絡するのが仕事なの!」
半ば自棄になりつつ、とっさに背負っていたトクナガにメモを挟み、ガイに向かって投げつける。
彼がそれを受け止めた一瞬の隙をついて、モースの後を追って駆け出した。
譜陣の光に包まれながら、ルーク達が気付いてくれるのを必死で祈る。
勝手なこと言ってるのは解ってる。だけどもし許されるなら、一言だけ。
おねがい、たすけて。
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