ティアの様子がおかしい────そう感じ始めたのは、今朝のことだ。
ぼーっとして視点が定まっていないし、話しかけても反応が薄い。
「……おーい、ティア? 聞いてる?」
「えっ……なに? ごめんなさい、もう一度お願い」
ほら、さっきからずっとこの調子だ。
「……お前、なんか変じゃねえ?」
「そっ……そんなことないわ。私はいつも通りよ」
「……ホントに?」
「本当よ。だから心配には及ばないわ」
「……。分かったよ」
正直なところまだ疑念は残っていたが、こうまで頑なに言われると、無理に追及するのも気が引ける。
「でも、何かあったらすぐ言えよな」
「ええ」
────ティアは強がりが上手いから、俺がよく見てないと。
その後もティアは、普段からすれば異常としか言い様がなかった。
何もない所で転んだり、料理はことごとく失敗するし(その惨状はナタリアにも匹敵した)。
挙げ句の果てには、何を間違ったのか戦闘中にナイフを味方に投げたりするし。
「……随分と貴女らしくありませんね、ティア?」
「……。申し訳ありません」
その被害者であるところのジェイドが、たっぷりと嫌味を込めてティアに釘を刺していた。
笑みの形に細められているはずの紅眼が全く笑っていない。
かなり怒っているのが雰囲気からこれでもかというほどビシビシ伝わってきて、怖い。
「何も、戦闘中にナイフを投げられてあわや大惨事だったことを言っている訳ではありませんよ。
ええ、決して」
────ぜっっっったい、嘘だ。
そう思ったのは俺だけではないはずだった。確実に。
「問題は、こうなる前に何故対処を怠ったのか、ということです。解りますね?」
「……はい。すみませんでした」
「反省はしているようですね。結構。────ルーク、ちょっと」
「……俺?」
自分が突然指名されたことに訝しみながらも、ジェイドが手招くままに歩み寄る。
「今日はもう休みましょう。野営の準備は我々でしますから、ルークはティアを寝かしつけちゃって下さい♡」
「たっ、大佐! 何を……!」
「寝かしつけるって、子供じゃねーんだから……。まあいいけど」
ティアは何やらあからさまに動揺していたが、俺にとってはティアの不調がそこまで深刻だったことの方が、
よっぽど重要だった。
何しろ、あのジェイドが「これ以上旅を続けるのは無理」と判断したほどなのだ。
「ほら、テント行くぞ」
「ちょっと……ルーク、離して……!」
「今はダメ。こういう時くらい大人しくしてろって」
嫌がるティアの手を引いて、無理矢理テントの中に入らせる。
掴んだ華奢な手は、微かに震えていた。
────ったく、あれだけ言ったのに。
「さて、ここまでは良いとして……」
寝かしつけるってどうやればいいんだろう。
ガイが昔やってくれたみたいにやればいいのか?
例えば────添い寝とか。
ブフッ
何も含んでいない口から魂を盛大に吹き出し、顔を真っ赤にさせながら首を振る。
────ななな、何考えてんだ俺……!
「……どうしたの?」
「な、何でもねーよっ。それより、これ。毛布」
百面相をティアに見られていたのが恥ずかしくて、誤魔化しにもなっていなかったけれど毛布を手渡した。
ティアは素直に毛布を受け取り、すっぽりと体全体を包み込んだ。
「……ねえ、ルーク」
「ん、なんだ?」
「体調が悪いのは認めるわ。大人しくもする。……でも、ルークにはテントから出て行って欲しいの」
「……?」
────いきなり何を言い出すんだろう。
思わず思考停止してしまった俺に構うことなく、ティアは語気を強めて繰り返した。
「お願い。今すぐ出て行って」
「な、何言ってんだよ、」
「いいから、とにかく私に近づかないで!! じゃないと……」
────(近づかないで!!)(近づかないで!)(近づかないで)(近づかないで……)────
普段からあまり感情を強くさらけ出すことのないティアが、初めて見せた拒絶の叫び。
それは狂った鐘のように何度も何度も頭の中で鳴り響き、雷鳴のような鋭さで俺の心臓を貫いた。
「……そっか。」
それでいて、思考は驚くほど淡々と働き、単純な結論を導き出す。
俺に近寄って欲しくない。心配して欲しくない。
つまりそれは、
────迷惑。
「じゃないと、私、貴方に……え、ルーク?」
「ごめんな。俺、全然気づかなくて」
いつもいつも、人の気持ちをちゃんと考えられなくて。
変わりたい、変わるって宣言したって、口先だけで何も変わってない。
ティアだって、いい加減愛想が尽きてしまったのだろうか。
「迷惑なら、そう言ってくれればいいのに」
「ち、違うわっ! 私、そんなつもりじゃ……!」
青い顔をさらに蒼白にさせたティアが、慌ててかぶりを振って否定する。
嫌な思いをさせたのに気遣ってくれるなんて、ティアは優しいなあ。
その優しさに少し胸が痛んだけれど、何とか精一杯微笑む努力をした。
「いいんだ。……じゃあ俺、もう行くから」
「待って!ちが……私は……!」
テントを出て行こうとした俺の足は、そのまま止まることはないはずだった。
────寸前で、ティアの問題発言がなければ。
「わっ……私が近づかないでって言ったのは、風邪だからよ!!」
意を決して叫んだ、と言わんばかりにはあはあと息を切らしているティア。
呆然とするしかない、俺。
「…………………………は?」
「だから、風邪をうつすと悪いと思って……。今は……その、大事な時期だし……」
ティアは薄く目を閉じ、苦しそうに呟く。言われてみれば呼吸も辛そうだ。
額に手をやると、触れた部分が火傷しそうなほどに熱を持っていた。
今まで動けていたのが不思議なくらいだ。
「!! お前、すごい熱じゃねーか!」
「そ、う……?でも、いま倒れるわけには……」
「こんなの絶対安静に決まってんだろ! 何でもっと早く言わないんだよ……!」
「でも……みんなに、迷惑は懸けたくなかったから……」
「……………………。あのなあ、ティア」
俺は深く長い溜め息を吐きつつ、
ぱちん。
顔を俯かせるティアの顎を上げて、額にデコピンを一発かました。
「……ッ!」
ティアは一瞬、何が起こったかわからないような顔をした後、痛そうに呻きながら俺を睨みつけた。
「なっ、何するのよ……!」
「バカだなー。そんなの誰も迷惑だなんて思ってないって。
つーか、それを言うなら、放っておいて悪化したからジェイドも怒ってたんだろ?」
俺の言葉に、ティアはしばらくきょとんとして、それから小さく花の咲くような笑みを浮かべた。
「そうね……その通りだわ。ごめんなさい……」
「謝る事なんてないって。それより、今日はちゃんと休んでもらうからな!
何ならおかゆとか作ってこようか?」
「……。え、遠慮しておくわ……」
「そうか? 食欲出たらいつでも言ってくれよな。アニスに何か病人食の作り方でも教えてもらうからさ!」
「……期待してるわ」
やがてティアは眠りに落ち、すやすやと寝息を立て始めた。
それを確認し、ずれかけた毛布を掛け直して、起こさないようにそっとテントから出ると────。
「ちょっとちょっと、ティアとはどうなったの!?」
「小さなテント、いわば密室の中で二人っきり……何もない訳がありませんわ!」
「俺はそんな度胸はない、に賭けるね。旦那は?」
「どうでしょうねー。案外ルークも健全な男子ですから、シチュエーション次第でオオカミに……」
「ご主人様すごいですの! 人間なのにオオカミですの?」
「────ならねーよッッ!!」
各々で勝手な言い分を並び立てる仲間に、色々な意味で頭が痛くなりながらツッコミを入れたのだった。
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